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「スポーツ」のまとめ、私見

こんにちわ。 羽々Jr.の高橋です。


今回のブログは、2022年4月現在の自分の考えを纏めておくために、書きたいと思い筆を取りました。


まず「スポーツ」について、です。


皆さんは「バドミントンはスポーツである」と思いますか??


私は半分正解、半分不正解だと考えています。


◆スポーツという概念は西洋のものだ


そもそもスポーツとは「西洋的な概念」です。


例えば、タイに目を向けてみましょう。

・5歳の子のムエタイの試合にお金が掛けられています。

・12歳の子の試合では、百万単位のお金が動くことがあるそうです。

・お金がかかっているから、野次も凄いです。

・八百長すると審判含め、命が危ないです。

・でも、国技なので、襟付き服で観戦等のドレスコードやワイクルーのような祭事があります。

・相撲同様、少し前までリングに女性が上がれませんでした。


上記のことから、「アジア的なもの」が掬い取れると思います。

神事であり、賭場であり、見世物である。

従って、得られる栄誉等も大きく、また参入者も「限定」される。


タイのバドミントンには、このような社会的背景がありますので、本気で「バドミントンで立身出世を考える人」しかジュニアでも参入しないそうです。


一方、西洋的な概念では、スポーツの教育的効果が着目され、幅広く国民に普及されるようなものでした。幅広く国民、が言い過ぎであれば、貴族の教育です。

「教育的なもの」であったがために、被植民地では禁止されていたという背景もあるそうです。


「アジア的なもの」「西洋的なもの」、どちらが良い悪いではなく、そういうものだ、と言うことが重要です。


◆日本のバドミントンは?

皆さんご存じの通り、日本ではスポーツは「教育的なもの」として扱われていると思います。

江戸時代から寺子屋があり、明治時代に西洋的なものが流入し、現代では「習い事」としてスポーツも定着しています。

一方でアジア的な部分も文化として持っていると考えられます。


結論から言うと、「アジア的なもの」「西洋的なもの」がごちゃごちゃになっている、のが今の日本のバドミントン界、と私は考えています。


◆日本のバドミントン その1 早期選抜特化

ABC大会に代表されるように、低学年カテゴリーから競技へ参入することにより、日本のバドミントンは強くなっていきました。

例えば、山口茜選手はABC大会5連覇、中学生で史上初の全日本総合初戦突破&代表入り、高校IH単3連覇、です。

強くなっていくと同時に、スポンサー獲得(例:ダイハツ)、協会登録人口の増加(H11年→H30年で約2倍、30万人)等、「使えるお金」も増えて行っているようです。


◆日本のバドミントン その2 中学、高校から始めてもトーナメント

教育的なものとして挙げられる代表的事例が部活動だと思います。

「チャレンジすることが大事」として、始めたばかりだとしても大会参加させられることが良くあります。

しかし、そこで当たる相手は小学生からガッツリ競技をしている選手であることが多々あります。

これは本当に教育的なのでしょうか??

建前は教育的ですが、行われている大会システムは「強化選抜」であり、理念と方式が一致していないと言えると思います。


◆日本のバドミントン その3 強化選抜システムの他国との比較

日本の強化選抜システムは世界のトップではなく、「日本の」「カテゴリー別の」トップを目指させるシステムと言えます。

小学生の大会、中学生の大会、高校生の大会、社会人の大会、そして全日本総合とカテゴリーが別れています。

また、世界大会には「代表入り」しなければならず、個人の自由で世界での経験を積んだり、ポイントを稼いだりすることは出来ません。


一方、タイの大会事情は以下の通りとなっています。

・参加者が暦年別で区切られた全国大会しかない。

・全国大会は2~3か月に1度ある。

・上位カテゴリーに重複参加可能。

・年末にランキング上位者の大会「ファイナル」がある。

・世界大会には自由に参加出来る。協会はエントリー手続きのみ。

(但し、費用は個人持ち。協会派遣の団体戦は除く。)


例えば、インタノン選手は13歳でシニアの世界大会であるICに出始め、15歳でGPのタイトルを取っています。台湾のタイツーイン選手も似たような経歴です。


このように「代表入り」という概念がなく、機会が開放されているのが東南アジア方式です。

「代表入り」しないと世界大会への参画機会が得られず、成長の機会が阻害されているのが日本方式とも言えます。


別の視点から見ると、

「バドミントンという「競技」に参画しやすいのが日本、しにくいのがタイ」となります。


これは1つは費用の問題です。

タイは渡航費用などが個人持ち(所属クラブ持ち)、日本は協会持ちです。


2つ目は夢への精神的なコストの問題です。

私見ですが、日本は「全国大会優勝」を目指している人が多いのではないでしょうか?

全国大会優勝はオリンピックで金メダルよりも具体的な道程が想像しやすく、国内的には価値が高い。

他競技でも「甲子園」や「箱根駅伝」の価値が高いことからも、あながち間違っていない推論ではないかな、と考えております。


それゆえ、B代表未満のタレントプールが豊富なのでしょう。

(勿論、実業団という受け皿があってこそですが。)


◆私見

日本のバドミントン界は早期選抜特化によって、競技成績もお金も生み出してきました。

しかし、見過ごされている問題も多く、転換期に来ているとも思います。

そこで下記のようなことを考えてみました。


①強化選抜と普及/育成を分ける

②強化選抜の機会は開放する


昨今、「小学生の全国大会の是非」が議論されています。

早期専門特化が有効と思われる競技特性で、且つ、強化の結果が出ているバドミントンで小学生の全国大会を止める必要性はあまりないと思います。


むしろ、タイのように

・全国大会「のみ」(地区予選なし)

・年間複数回開催。各地方で行う。

・カテゴリーもCY、FY、9-10月生まれ等を各大会で分ける。

・上位カテゴリーの飛び級や複数登録あり

・ポイント制の導入、年の最後に上位者で世代別ファイナル。

・世界大会へのエントリーも自由。エントリーに問題があれば、世界ランクや国内ランクで優先順位を決める。

にしていけば良いのではないかと思います。


このようにしておけば、いつでも好きな時に競技に参入できます。

「世界で勝つ」ための競争選抜システム、ということを念頭において考えましたが、これを「国内リーグを発展させるため」等、何のためのシステムとするかによって考え方は変わるはずです。



一方で、地区大会や中体連、高体連の大会は「普及/育成」に舵を切ります。

・基本的にはリーグ戦(複数回、試合が出来るようにする)。

・出場の条件(検定品着用、協会登録等)の縛りを撤廃する。

・レベルを細かく分けて、切磋琢磨出来、楽しめるようにする。


この「レベルを細かく分けて」というのは、競技バドミントンに拘らなくても良いと思います。

まだ競技コートを全面で繋ぐ技術や体力がない子たちも楽しめる企画/規格というのを、考えていかなければならないでしょう。


例えば、B-FORCEがやりやすいのではないでしょうか?


◆私見から漏れる部分

「世界で勝つ」ための競争選抜システムと考えた時に、「国内リーグの強化が世界で勝つための強化に繋がる」という考えが協会には無いように見えます。

例えば、2021年度は他競技は行われているにも関わらず、S/Jリーグ2部3部は中止になりました。1部も一部中止になっていたと思います。


上記の案も、自由に世界大会に参入出来るようにすれば、強い選手程、国内に留まらなくなります。

プロ野球のように国内単独で儲かるシステムになっていれば、NPBとMLBのような関係に国内リーグと世界大会がなるかもしれませんが、そうでなければテニスのような形になると思います。


◆終わりに

ここまでマクロ的な視点で見てきましたが、ミクロの視点、つまり自クラブの理念や方針をどうしていくか?


競争選抜に特化していくのか、育成に特化していくのか、それは良い悪いではなく、価値観の違いです。


しかし、少なくとも競争選抜に特化する場合、そこに参入するには「選手自身の意志決定」が必要でしょう。

過酷な環境を生き抜くためには「自発的」であることが大事だと思います。


羽々Jr.では今まで通り「マルチパスウェイ」を掲げて、自発性を大事にする、基礎運動能力の獲得、成長特性に合わせたプログラム、競技力の向上やスポンサー獲得/社会に出て役立つであろう論理力の向上、に重点を置きながら活動していきたい、と改めて考えました。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

読んでくださった方の何かの参考になれば幸いです。


では、また☆





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