指導論まとめ 2023.11月現在 その4
こんにちわ!
羽々Jr.の高橋です。
自己満足の「指導論まとめ」も第4回になりました。
今回は、その1~その3の総括っぽい話になります。
総括の目的を端的に申し上げると、「『運動神経』という言葉を使った大人のアレコレを撲滅したい」です(笑)
「うちの子は運動神経が無いから・・・あの子が羨ましい」とか
「うちの子は運動神経が無いのに、バドミントン選手に成れています」とか。
大人が子供達に起こっている現象を、運動神経という言葉で片付けるのが「反知性主義的」な態度と思いますし、上記の後者は「宣伝文句」のようにSNSで使われているのを見ます。
また、前者は「指導者」が言っているのも聞いたことがあり、「貴方の仕事は何なのですか?」と聞きたくなることも・・・・
そういうわけで、本題に入ります。
目次です。
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目次
1.コンディションとコ・オーディネーション能力の関係
2.コンディションを整える全体練習としての「型」
3.小さい時から、その環境に「コ・オーディネーション」されてしまうと?
◆終わりに
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1.コンディションとコ・オーディネーション能力の関係
「コ・オーディネーション能力」という言葉は何度か出てきましたが、「コンディション」という言葉があります。
この記事内では、「筋力/持久力/スピード」等のことを指します。
立命館大学の上田憲嗣先生によれば、「技術」に繋がるには「コンディション」と「コ・オーディネーション能力」の関係が大事だということです。
セミナーで使われた図を引用します。
①はコンディション要因の技術への橋渡しがよく出来ている状態。
②はコ・オーディネーションが不足し、コンディションと技術の調和が阻害されている状態。
③はコンディションが不足し、低い技術水準となっている状態。
要するに、コンディションが不足しても、コ・オーディネーション能力が不足しても技術に結び付かない、ということですね。
本来なら、例を示したいのですが・・・悪い例として紹介してしまうと、個人攻撃になるかもしれず、止めておきます。本当は「ダメな指導だから、ダメ!」とはっきり言いたいですが・・・
その日の練習プログラムをどのように立てているのか、「今は粗形態で十分だ」と考えているのか、等の背景は切り取られた動画からはわかりませんの、一概に否定できない、ということもあります。
(それでも長く観察していると、ダメなのがわかりますが・・・)
ネット上にたくさん転がっていますので、「これの事かな?」と思ってください。
2.コンディションを整える全体練習としての「型」
コンディション不足で技術が身に着かない、というのは他スポーツでも良くある話です。
野球教室を見ていても、「バットに振り回されている」あるいは「バット所か自分の四肢に振り回されている」子を見かけます。
このような状態で、「ピッチャーから投げて貰って打撃練習」をしても、③の状態になるでしょう。
ですから、「素振りをしろ!」と昔はなっていたわけです。人数も多かったでしょうし、打撃に必要なコンディションを整えるために一律の「反復練習」を課していたわけです。
「打撃に必要なコンディション」としているのは、例えば、ボディビルダーのような筋肉をお持ちの方でもバットを振ったことがなければ上手く扱えない、ということを念頭に置いています。
必要なコンディションが揃った状態で、「ピッチャーから投げて貰って打撃練習」をしていけば、自ずとコ・オーディネーション能力が上がり、技術が身に着いていく、という流れになる可能性が高いのです。
(大体のスポーツの「練習」は、そもそも「コ・オーディネーション」的な練習なのです。)
従って、「低学年に『オーバーハンドストロークの素振り』や『ロングハイサービスの素振り』等をさせまくって、バドミントンに必要な『コンディション』を整えて、練習させまくる」というのは、ある意味(早期専門特化として)正解だと思います。
これが「運動神経悪いけど、バドミントン強いですよ、ウチ」です。
「それはそうでしょうね・・・バドミントン用のコンディションとコ・オーディネーション能力だけ鍛えているので・・・」と私は内心思っています。
そのような投稿に引っ張られて、「型」ばかりやって「コ・オーディネーション能力」が足りなかったり(②)、あるいはコンディション不足で低い技術に纏まってしまった(③)が、「うちの子は運動神経が無いので・・・」です。
「型」は非常に優れた方法だと私も思っています。
しかし、現代の子供達の運動能力というのは、昔に比べて均一ではなく、格差が広がっていると思います。
全体練習として「型」を利用していくにあたって、より個別具体的に子供達の状況を見ながら、使用していく必要があると思います。
3.小さい時から、その環境に「コ・オーディネーション」されてしまうと?
「低学年からコンディションを整え、練習させるというのはある意味正解だ」と前の段落で書きました。
しかし、一方で弊害もあるので、注意が必要です。
オーバーユース等の傷害の問題もありますが、ここでは「技術」について私が思うことをご紹介します。
それは「大人になった時に必要な技術が身に付いておらず、作り直しになることが多い」です。
子供たちに取ってネットは自分の身長より高いことが多いです。
従って、「腰を落とす必要がない」「下にシャトルを叩きつけない」「常に頭の上でシャトルを捌く」等の環境で、ずっと練習している(コ・オーディネーションされている)わけです。
すると、大人になった時に必要な技術に対するコンディションが無い事も多くあります。(しゃがめない/腰を落とせない、ボディ周りのドライブ等が捌けない、コートを3歩で行く癖がついており、バックバウンダリーラインまで下がらない/ワイパープッシュで跳びつけない等)
特に「腰を落としてフットワークする」等は、アクションフレーズの循環の根幹に関わるので作り直しに時間が掛かることが多いです。
「今の競技生活を愉しむ事」は勿論大事なのですが、「将来、どうあるべきか?という事」は常に頭の片隅に置きながら、子供達と付き合っていきたいですね。
◆終わりに
さて、その1~3の総括として、その4を書きました。
テーマとして「変な癖をつけない」ということを念頭に置いて書きました。
個人的には、阿部先生と渡辺先生の提案を上手く活用すれば、それほど間違えないと思っています。
再掲いたします。
『バドミントンの歴史に学ぶ』阿部一佳・渡辺雅弘著 P10
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①「遊びの誕生」(1人遊び)用具の発展等
上手くなりたい・・・感情、意識、意志
↓
②「遊びの発展」(2人遊び)様式の発展等
打ち続けたい・・・競争、協同。2,117回の寓意
↓
③「萌芽的ゲームの誕生」(技術指向の分化)バドミントン・バトルドアーの出現
打ち勝ちたい・・・コート・ルールの原形の形成
↓
④「バドミントンの成立」
-----引用終わり
②でネット無しのドライブや、「規定のコートの広さに囚われず、打ち合い」をしていれば、3.小さい時から、その環境に「コ・オーディネーション」されてしまうと?で書いたようなことは起こりづらいわけですし、2人だけでなく、3人ver.でやっていればクロスに打ちながら続けるということも当たり前に出来るようになってくるわけです。
(これが競技から入ると、クロスは「居ない所を狙う意識」からスタートしますので、アウトになりがちに・・・?)
理論だけでなく、自論も多い指導論まとめですが、何かの参考になれば幸いです。
多くの子供達に可能性を残してあげられるように、指導していきたいですね。
それでは、また☆
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